象は群れの仲間が死んだら葬式をするという。
死んだ個体の亡骸に対し、周りに集まり鼻を上げて匂いを嗅ぐような動作や、労わるように鼻でなでる等の行動をとった記録があるらしい。それが葬式と言えるのかどうかは分からないが、象は仲間の死を悲しむという感情を持っていると思いたい。
象は人間には聞こえない低周波音で会話をしている。自分たちの群れの存在を脅かす天敵の存在を仲間に知らせるといったコミュニケーションをとっている。こうしたコミュニケーションの前提として群れの安全の確保が目的で生き延びるための手段と言ってしまえば味も素っ気もない。しかし、象たちが仲間をこれ以上失いたくないと思って仲間を守るための行動と想像してみたら象のコミュニティの絆を感じられるかもしれない。象は仲間の死を悲しむ動物であると。
ではなぜ、ほかの動物にはなく象にこのような感情があるのだろうか。例えば、鰯の群れが鰯より大きい魚に食べられたら生き残った鰯は悲しむだろうか。鰯が何故群れるのかというと、ばらばらで生きているより群れになって行動する方が固体の生存率が高いという説がある。どういうことかといえば、群れを襲う魚は群れの外側の固体の一部を食べつくしたらお腹いっぱいになって内側の固体まで被害が及ばないということである。内側の固体は外側の固体の犠牲の上に生き延びている。鰯は犠牲になった固体に対し、悲しみや感謝の念を抱くのだろうか。
さて、我々人間は悲しいときに涙を流す唯一の動物である。人類の祖先は泣いたのであろうか。サルが涙を流したという話は聞いたことがない。生物の進化の分岐点で涙を流す特性を獲得した固体が人間に進化したのだろうか。では、なぜ進化の過程で涙を流すという特性を身に付けたのだろうか。
仮定として、人間の祖先は現在では想像もつかない厳しい生存環境にさらされていたのではないだろうか。ヒトの赤ちゃんはほかの動物と違って自立するのに時間がかかる。その分幼くして亡くなってしまうことも多かっただろう。また、大きくなってからも身内や仲間が亡くなったりすることがほかの動物よりも多かったのであろう。悲しみを多く体験することで、何らかのきっかけで悲しみの感情の揺れが大きく振り切ったときにふと涙が流れたのではないだろうか。それは悲しみで自我が崩壊しないためのシステムではないかと思う。誰もが泣いた後に泣き疲れてその後に来るカタルシスを覚えたことがあるのではないか。そうして悲しみを乗り越えて生きていく、ある種の活力を得て生存競争を勝ち抜いてきたのではないか。そして、「悲しいときに泣く」から「感動したときに泣く」という進化を辿ったのではないか。
かなしいなかしぃでした。