ふと、交換日記みたいなのをしたくなった。
皆んなでまわすオープンなノートブックも楽しそうだけど、今はごくごくプライベートな、密かなお喋りのような、心のやわらかいところをさわるような交換日記がいい。自分のノートブックには貼りものってほとんどしないんだけど、誰かに読んでもらうためのものだったら「ねーねー、こんなの見たよ」「こんなことしたよ」みたいな気分で色んなもののカケラを貼り付けてしまう気がする。
交換日記って小学生の時に一度だけしたことがある。いつもわたしにばかり意地悪をするクラスメイトの女の子に押し切られて気がすすまないまま始めることになってしまったんだけど、ノートブックの中のその子は、いつもの感じとはまったく違ってすごく優しくて、それから少し自信なさげで、彼女から渡されたノートを開くたび「本当にあの子?」とおぼつかない気分になった。「わたしが交換日記をしてるこの相手は、もしかしてあの子とそっくりの別の子?」と。
交換日記に使うノートブックは、黒い表紙の、掌にのるサイズのあれがいい。そしたらそれをコートのポケットに入れて、指の先で表紙の硬さや伸び縮みするゴムバンドや紙の切り口の角っこの丸みをを確かめながら、一緒に色々なものを見に行こう。
高校生の頃、授業中、ルーズリーフやノートをちぎって友達に手紙を書いた。音楽の話や夜中に観たテレビ番組や読んだ本のことなんかの他愛ない話をたっぷり書いて、時々はちょっとしたもの─ビーズの蜻蛉やクリップを曲げて作った飛蝗や雑誌の切り抜き─を入れて不思議な折り方で包んで留めた。毎日胸ポケットに入ってたあの小さな内緒話の手紙みたいなの。
内緒話といっても本当に内緒の話じゃなくて、誰にでも話すようなちょっとしたことがいい。特別な話じゃないけど一緒の時間を過ごしたらきっと話すはずの、だけど一晩眠ったら忘れてしまうような毎日のささやかな事柄がいい。小さな小さな日々が積み重なって、皆の知らないもう1つの輪郭ができてゆく感じがいい。
ライブの半券や美味しいものを買ったお店のレシートや、チョコレートの包み紙や銀紙の端っこ。買った服に付いてた洒落たタグや、革の靴を包んであった綺麗な色の薄紙。セロハンテープにくっつけて貼り付けた、風に晒された砂の欠片。
休日の朝の寝ぼけまなこのお喋りや、ちょっと近くに来たからとコーヒーを一緒に飲んだりする毎日を積み重ねるような感じ。毎日の出来事の断片と走り書きの言葉と意味のわからない絵が積み重なって膨らんだノートブックを、何処かの国の、吸い込まれそうに淋しい乾いてふわふわした草原の風景の、毎日ぼんやり眺めてた先月のカレンダーに包んで渡したりしたい。