えー。
先日、カーソン マッカラーズの『結婚式のメンバー』読みまして(村上春樹訳)。
なんていうのだろう、例えば、孤独とか空虚とか、そういうものが自分の中心にあるひとというのは、それは先天性なのかも知れない、と思いました。
育った環境ではなくて、親の影響ではなくて、えくぼがある、とか、くせ毛とか、自分ではどうにもならないところからきたものじゃないか、と。
それまでほとんど気にもとめなかったことが、彼女を傷つけるようになった。夕暮れの歩道から見える家々の明かり、横町から聞こえてくる知らない人の声。そんな明かりをじっと見つめ、声に耳を澄ませた。そして彼女の中にある何かを待ち受けた。しかし、明かりはそのうちに暗くなり、声は消えていった。彼女はなおも待ったが、そのまま何も起こらなかった。それでおしまい。自分は誰なのだろう、自分はこの世で何ものになろうとしているのだろう、なぜ自分は今ここにじっとたたずんでいるのだろう、明かりを眺めたり耳を澄ませたり、夜明けの空をじっと仰ぎ見たりしているのだろう。それもたった一人で。自分に唐突にそんなことを考えさせるものを、彼女は怖れた。彼女は怯えていた。そしてその胸の中にはわけのわからないこわばりがあった。
毎度のことながら『結婚式のメンバー』のブックレビューではないです。
『ホームズの生みの親 コナン=ドイルについて』について、です。
先日、シャーロック ホームズのこういう記事を書きました。
この記事の最後に、ちょこっとコナン=ドイルについて書こうと思っていたんですが、ちょうど、モレカウ考現学を思いついて、じゃー、コナン=ドイルについて、単独で記事を書こう、となりました。
現在、公開されている(もう終わった?)『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』を見てきました。
すごかった…! どこもかしこも年喰ってもホームズ! な一本でした。
印象的だったのが、ホームズは、医師から、ある現象が起こったら記録しなさいと、手帳を渡されて、記入していくエピソードで。それがものすごく偏執狂的で、いかにも『ホームズ』…!
あと、ホームズを演じるサーイアンM!
なんていうのだろう、美しく流れるような動きをするのも役者なら、ぎくしゃくした、老人としての動きが、不自然ではなく、演じられるのも役者だからこそ、という。咳の息苦しさとか、思うように動かない身体の重さとか、そういうのがものすっごくナチュラルだった…!
話としては、ホームズが関わった最後の事件、亡くしたふたりの子供と話す、ご婦人の物語を、後年、ホームズ本人が洗い直す、というものなのですが。
この婦人が言うのです。
「あなただけが、わかって下さると思っていました」
ーー『超』のつく現実主義者のホームズが「亡くなった子供と話す」ことがわかる?
この時、ちょっと思ったのが、コレ、ホームズの物語だよね、ドイルじゃなくて、と。
そして、ホームズは、彼の人生で、出会って、亡くなったひとに哀悼の意を表して、あることをするのですが。
これもまた「ホームズ? コナン=ドイルじゃなくて?」と思いました。
全体的に、この脚本(原作?)を書いたひとは、ひょっとしてコナン=ドイルの人生を描きたかったの? と、そんな風に感じました。
(あとねー、ホームズの孤独について、触れられていました。「あなたは、孤独ではないの」「いくらかは、知識が埋めてくれます」
や、コレは間違いじゃないの。埋めようとしたこと、埋められると思っていること。ホームズの孤独なんて考えたことがなくて、だからこそ、間違ってるっぽいのが切なかった)
わたしには、この映画のホームズがものすごくコナン=ドイルと重なりました。
そのホームズの生みの親、コナン=ドイルと、彼が関わったコティングリーの妖精事件について書こうと思います。
◆ ◆ ◆ ◆
↑上記、ことさらにコナン=ドイルと表記しています。
フルネームは アーサー・イグナチウス・コナン=ドイルです。コナン=ドイル、複合姓です。つまり、コナンは、ミドルネームじゃなくて、ファミリーネームです。
1859年5月22日 父 チャールズ ドイル、母 メアリ フォーレとの間に生まれました。
ファーストネームのアーサーは、伝説のアーサー王から、コナンは、チャールズの母親の姓を受けて付けられたそうです。
父方のドイル一族は、アイルランドの出身でした。
画家や歴史学、紋章学の学者など、それぞれ優秀で名をあげる中、コナン=ドイルの父親チャールズは、そういった抜きん出た才能がなく、どちらかというと夢想家で「やるぜ!一旗揚げるぜ!」という性格ではなかったため、ドイル家は、いつも台所事情が苦しかったようです。
その中で、がんばったのが、ビッグママ的なメアリ、コナン=ドイルの母です。
(このお母さんもアイルランド出身)
メアリは、幼いアーサーに、英雄譚やら騎士道物語やら先祖の武勇伝、伝説を話して聞かせて、「強きに抗し、弱き者を助けよ」という騎士道精神を教え込んだそうです。
この時に聞かされた物語は、コナン=ドイルの人生に(良くも悪くも)関わってきます。
余談。
ガルシア=マルケスのばーさまも、優れた語り手で、幼いマルケスに「お話」をよく聞かせていたそうです。
わたしの超愛するデュマも、実家が宿屋で、小さい頃からその手伝いをしていて、夜ごと旅人やら商人が語るホラ話を聞いて育ったのだそうです。
「俺ぁー、パシャの姫君を海賊から救った褒美に、こーんなでっかいエメラルドを頂いたんだぜー!」みたいな。
余談終わり。
↑上記のように、ドイル家の台所事情は苦しく、コナン=ドイルは、学生時代、アルバイトをして学費や生活費をまかなっていたそうです。
そのアルバイトのひとつ。
21歳のコナン=ドイルは、捕鯨船に船医として乗り込みました。
行き先は、北極海、北極圏。
そこでの捕鯨を見て、コナン=ドイルには、その光景が、自然とひととの闘い、ドラマとして映ったそうです。
そして、その自然の風景、氷、海、生き物たち、ひとつひとつの中に、若いコナン=ドイルは、『神』、『神秘』を見つけて、この後、大学を卒業する頃には、カトリックの教義を捨てると公言するほどの強烈な印象を受けたそうです。(自然の中に神を見る、というのは、子供の頃、母親から聞かされたケルトの考え方に由来するそうで)
そういうアルバイトを経て、大学を卒業、コナン=ドイルは、医者として開業しますが。
患者が来ない>眼科医に転業>でもやっぱり、患者来ない>文章を書いて、少しでも稼ごう と、この辺り、有名なエピソードかと思います。
そして、1887年『緋色の研究』を書き上げます。
これがまた、世に出るまで時間がかかりました。
出版社が言うには「紙面が空いていないため、発表まで1年待つなら」と、著作権を25ポンドで買い切られます(後年、コナン=ドイルは著作権を買い戻したそうです)。
その出版までの間、コナン=ドイルは患者から、心霊現象の話を聞き、そちら方面へ傾倒していきます。
放棄したカトリックの教義、その魂の隙間を埋める、代わりのものとして、魔法使いや、妖精、幽霊は、幼い頃、母メアリから聞かされたケルトの昔話で、身近で馴染みのあるものでした。
ですが、盲目的に(胡散臭いとも思われる)心霊現象に傾倒したワケではなく。
デタラメだ、インチキだと言い捨ててしまうのは、科学的な検証が足りないのではないか、というのがドイルの意見だったようです。
この辺り、あー、ホームズを書いたひとだなーと思います。
そして、1914年、第一次世界大戦が起こります。
(ものすごく、この間、はしょってます。コナン=ドイル、歴史物語を書いたり、ホームズを一話読み切りで書いたところ大人気になったり、ホームズを死なせたり、ボーア戦争が起こったり、ホームズを復活させたり、一人目の奥さんが亡くなったり…)
コナン=ドイルも、戦争で親しいひと、長男や弟、二人目の妻の弟など、親族を亡くしています。
コナン=ドイルのみならず、イギリスの人々は、その理不尽な突然の死を受け入れられずにいて、その状況で死者との対話、霊的な交信を受け入れるようになっていきます。
ある日、コナン=ドイルは、亡くなった義弟からのメッセージを受け取ります。
コナン=ドイルと義弟しか知らないことについてのメッセージでした。
また、亡くなった息子と、霊的な交信をして、そのことをサー・オリヴァー ロッジへの手紙に書いています。
開始からはっきりした現象が起こり、霊媒がずっとうめいたりつぶやいたりしゃべったりしていましたので、彼のいた場所に疑いはないはずです。
突然、声が聞こえました。
「ジーン、ぼくだよ」
妻が声をかけました。
「キングズリーよ」
私は「おまえなのかい」と聞きました。
一心にささやくような声で、かれの口調そのものの答えが返ってきました。
「お父さん!」それから間があったあと、「許して下さい!」と。
キングズリーというのが息子で、ジーンが末娘です。
この体験は、コナン=ドイルにとって、とても大きなことだったようで、後年、何度もこの話を繰り返していたそうです。
これらの件から、完全にコナン=ドイルは心霊主義者を自称するようになります。
精力的に、心霊現象に関するテキストを書き、出版し、世界中を回り講演会を開いたそうです。
もちろん、並行してホームズ作品も書いています。
ですが、最盛期の『ボヘミアの醜聞』や『赤毛連盟』のようなキレはなく、『三人のガリデブ』や『白面の兵士』など精彩を欠くものとなりました。そして、皮肉なことに、このホームズ物の原稿料が心霊主義普及の活動の資金となったようです。
そして1917年、コティングリーの妖精事件が起こります。
イングランド北部の村のコティングリーで、エルシーとフランシスという、ふたりの少女が妖精を撮影したというのです。
コレです。
約100年後の今、見れば、妖精が浮いて見えるとか、明らかに合成っぽく見えます。
ですが、コナン=ドイルはこの写真を知人から見せられ、真贋の分からないまま、本物だと断定し、ストランドマガジンに掲載します。
(エルシーとフランシスのふたりには、取材をしていない状態だったそうです、ホームズの作者にしては勇み足かと)
その記事は大きな反響を呼び、読者はそれを認めませんでした。
1921年、コナン=ドイルは、さらに三枚の妖精写真をストランドマガジンに掲載し、この一件をまとめた『妖精の出現』を出版しました。この件を通して、心霊主義の普及に役立てようとしたのですが。
やはり、人々は、妖精の存在を認めず、コナン=ドイルは友人を失うことにもなったようです。
ホームズ物で『サセックスの吸血鬼』という作品があります。
ご存知の方も多いかと。
ワトスンの友人が持ち込んだ事件で、その友人と再婚した妻が赤ん坊の首筋に噛みついて、血を吸っているところを見てしまった、という、そういう話なのですが。
この中でホームズは
「この世ならぬものなんかにまで、かまっていられるものか」
とうそぶいています。
その一方で、『わが思い出と冒険』では、このように書いています。
簡単に言うと、私の感じた肉体的感覚はすべて、個別に確認できた信頼できるものであるということだ…
どんな洗練された潜在意識理論も、霊的存在の「ぼくは霊魂です。イネスです。あなたの弟です」という平易な言葉の前にくずれ去るのである。
ホームズが「かまってられない」と言い捨てた『この世ならぬもの』こそが、コナン=ドイルの心の、人生の支えだったようです。
ところで。
『ササッサ谷の秘密』
『マイカ クラーク』
『白衣団』
『失われた世界』
これらの作品群をご存知でしょうか。
これもまた、コナン=ドイルが書いた作品なのですが、ホームズに比べると格段に知名度が低い。
この『白衣団』などは、すばらしい作品のようですが、英国文学界では評価されなかったようです。
コナン=ドイルは、もともと、自分の天分は歴史物語にあると信じていましたが、世間が求めるのは、あくまで(自分とは正反対の)シャーロック ホームズでした。
自分が書きたいものと、世間が求めるもののギャップに苦しみ、ホームズを殺した、とも言われています。
ですが、ファンたち、そして(生涯、頭が上がらなかった)母親メアリの願いを聞き入れ、ホームズを生き返らせた、とか…
ホームズを憎んだ、とも、いやいや和解した、とも、いろいろな面からコナン=ドイルとホームズの関係について書かれていますが、自分が作ったキャラクターの生死さえも、自分の思い通りにできなかった、というのは、珍しいケースではないかなあ…(よくあることなんだろうか)。
コティングリー妖精事件の結末としては、1983年に、エルシーたちふたりは写真を偽物だと認めました。
事件が起こってから66年後のことです。
妖精の絵本から絵を切り抜いて、ピンで留めて撮影したものだったそうです。
コナン=ドイルは、この結末を知ることなく1930年に亡くなっています。
葬儀には、世界中から弔電と花束が届き、たくさんのひとたちがその死を見送ったそうです。
ですが、妻のジーンは「(コナン=ドイルは)ただ、次の世界へ行っただけだから」と、喪服も着ないで参列していたとか。
墓碑銘は
鋼鉄の如く真実で
刃の如く真っ直ぐな
アーサー コナン=ドイル
だそうです。
わたしは、コナン=ドイルが心霊主義に傾倒していて、そういう本をたくさん書いていたことは、ホームズを読んだ後、しばらくしてから知りまして。
あの『現実主義者』のホームズの生みの親が、心霊主義者? 降霊会を開いていた? と、ちょっと両者を結びつけることができませんでした。そのくらい、ホームズの現実主義はインパクトの大きなもので。
なぜ、コナン=ドイルは、そこまで心霊主義や妖精を信じたかったのかと思います。
カトリックの教義を捨てたから、親しいひとを亡くしたから、その心の隙間を埋めるため、でしょうか。
ホームズの現実主義は、コナン=ドイルの中に、もともとあったもの、のはず。
現実主義と心霊主義、ふたつながらにコナン=ドイルのものだったのか、と思ったのですが。
アイルランドの詩人イエーツがこういう言葉を残しています。
たとえ新聞記者といえども、もし真夜中に墓場に誘い出されたなら、妖怪変化の存在を信じるだろう。というのは、どんな人間でも、もし人の心の奥に深い傷跡を残すような目に会えば、みんな幻視家になるからだ。しかし、ケルト民族は、心の何の傷を受けるまでもなく、幻視家なのである。
コナン=ドイルという人物、心に傷を負ったケルト民族のひとり、であれば、どんなに深い幻想を見ていたのだろうと思います。
おまけ:
コティングリー妖精事件の五枚目の写真がこれなのですが。
これだけはエルシーたちは細工をしていないと言っています。
そして「妖精に会ったが、写真を撮ることはできなかった」とも言っていたそうです。