ほぼ無人島でのちっちゃい私の狩りの話をしたことがある。
大きくなったキリエは今夏、叔父の計画した「祖父の生誕100周年記念」イベントにより、すごく久しぶりに祖父母の島に訪れることができた。
懐かしさもこみ上げるが、植物に覆われた廃墟を見ると心が痛んだ。というのが正直なところだ。
私の母と二人の叔父は私以上に懐かしがり、寂しがっていた。
祖父が建て、母たち兄弟が育った祖父母の家は盛り土をしたため今はもう見ることができない。
土地を渡すときの条件の中に、ポンプだけは使えるようにしてほしい、と願っていた。
私も付き添った最後の確認で島を訪れて以来、誰も使っていないので上の叔父は「このポンプを使えるようにするのが今回のわしの使命!」と張り切っていた。
下の叔父はそこまでするとは思っていなかったが、機械好きの2人はスプレー式のグリスを吹きかけあげ、ボルトやらナットやらを外しポンプを解体していた。
「親父がおるとき、わし、ポンプを直したことがあるけぇ、ちょっとはわかるんよ」
と錆びついて回らなくなったナットと格闘していた上の叔父が言った。
カッコいい!
ポンプを分解して直したことがある人、ってそうそういない!
こういうのができる人に憧れる!
できれば自分ができるようになりたい!
ついでに言えば、ハンダ付けもしたことがないからやってみたい。なにとなにをくっつければいいのか、わからないけど練習は適当にしてもいいの?
2人の叔父はポンプの本体や部品を点検し、「これは呼び水をすれば使えるぞ!」とその辺に転がっていた取っ手のない子ども用のバケツに紐をくくりつけ、そばの井戸の水を汲み呼び水にした。
ポンプの棒を何度も押すと、水が出てきた!
叔父たちは子どものように喜び、そばにいた私達にも棒を押すように言い、写真や動画を撮りまくっていた。
私が行きたいと思っていた道は、竹にやられて侵入困難となっていた。
ちょっとだけ無理もしたかったが、無人島で怪我をしても身動きが取れないことから「少しでも危険なこと厳禁」と強く強く言い渡されていたので泣く泣く断念した。
人気がないのでセミを手づかみで捕った、あのビワの木が残っているかどうか知りたかった。
母や叔父たちは貝掘りをする気満々だったが、私はしないつもりでいた。
きっとちっちゃな私が時間を持て余したように暇になるだろうから、カヤの下にもぐり込んで「簡易秘密基地」でモレスキンを書こうとたくらんでいた。
しかし、これまでなかったアスファルト舗装された道を行く、と母や叔父が言うのでそれについていき、祖父母のルーツを探っていた下の叔父が泣きそうになるようなご先祖の名前が刻まれていた石碑を小さな神社で見つけたり、竹林に浸食される道を歩いた。
また、潮が引いたので浜づたいに行けるところまで探検したりしていたら、もう帰りの船の時間になった。
ちなみに船は釣り客を乗せる漁船の持ち主にお願いして出してもらった。
祖父母が健在のときも、潮の満ち引きで帰る時間が決まっていた。
次にこの島を訪れることは、もしかしたらないかもしれない。
ノートもスマホもほったらかしてよく遊んだ。
モレスキンも1,2行しか書かなかった。それでよかった。
ワイルドな私のルーツとワイルドな母や叔父たちと祖父母の島の思い出がこの夏の私のクライマックス。