8月、三分の一が終わりました。
どこの国だったか、「行く夏を惜しむ」という言葉があるそうです。
夏を惜しみますか。それとも、秋を待ちこがれますか。
以上、前振り終わり。
6月でしたが、ミュシャ展、駆け込みギリギリで見てきました。
えー、ほんっっっっっっっとーーにすばらしかったです。
ミュシャというと、フランス、パリで演劇のポスターなどのデザインを手掛けたイラストレーターのイメージが強いのですが、今回の展示はその方面では《なく》、スラヴ民族のアイディンティティを描いた『スラブ叙事詩』という大きな絵20枚がメインの展示でした。
そのうち、わたしが「絵の周りをうろうろして、何度も戻っては見上げた、立ち去りがたい何枚か」を紹介しようと思います。
6月2日。
午前11時前後に国立新美術館到着。「80分待ちでーす!」と言われて並んでいましたが、えー、12時前には展示を見ることができました。
会場に入ったところに、展示のコンセプトの説明文があったのですが、その真横、ホントに真横に1枚目の絵があったので、反射的に横移動して絵を見上げました。
1枚目『原故郷のスラヴ民族』
見た時、なんていうか、構図とか色とか、モチーフよりも、大きさ、質量に圧倒された気がします。
サイズが 610×810 だそうで、本当にとにかく大きい。
絵の説明としては、時代は3−6世紀頃。
右中央で両手を広げているのが当時の宗教的指導者、その右にいるのが平和を祈る少女、左にいるのが戦士。
画面左下にいるふたりが、当時のスラヴ民族の擬人化だそうです。
略奪者に村を焼かれて追われている図で、楽園を追われたアダムとイヴになぞらえているんだそうで。
そして、背景に異民族が侵攻している図があり。
まだこの時代は、スラヴ圏にキリスト教が入ってきていなくて、スラヴ民族は多神教を信仰していたそうです。
それですごく思い出していたのが、この一節。
神々はもはや無く、キリストは未だ到来せず、人間がひとりで立っていたまたとない時間が、キケロからマルクス・アウレリアスまで、存在した。
『ユルスナールの靴』須賀敦子
これは、ローマにこういう時代があった、という文脈なのですが、この言葉をすごく思い出していました。
引用には「神々はもはや無く」とありますが、(上記にも書いていますが)この絵の時代の人々は夜空の星に自分の運命を結びつけて祈っていたそうです。
次の絵に行くのが何かもったいないような気がして、すごくいろいろな各度から見上げていました。
2枚目『ルヤーナ島のスヴァントヴィート祭』
ぱっ と見て、さらりと読めない名前、単語。いいなあ!
これも画面左上に異民族、北欧神話の神々が攻めてくるところが描かれています。
右中央、それでも楽人と細工師は自分の仕事をまっとうしようとしている、という絵だそうです。
すごく印象的だったのが、下中央の子供を抱いた白衣の母親でした。
その母親の視線は、あきらかに絵画鑑賞者に向けられている(のではないかと思います)。
何て言えばいいのかなあ。
おそらく、北欧の神々が攻めてきていたこの時代、
ミュシャが描いた1912年当時、
わたしが見ている2017年、
そしておそらく、これから先も。
この母親は「わたし」を見続けるんだろう。
3枚目『スラヴ式典礼の導入』
これもすごく印象的でした。サブタイトルが「汝の母国語で主を讃えよ」
聖書のラテン語をスラヴ語に翻訳したことを喜び祝う絵だそうです。
(厳密には、スラヴ民族の独立をかけた、精神の勝利を祝う絵)
(この時に、ほのぼんやり「あー、やっぱりラテン語からの母国語への翻訳って大きな意味があるんだろうなあ」と思っていたんですが、このあとにも、同じテーマの絵がありまして。)
喜び、祝うそのエネルギーのようなものが画面いっぱいから溢れ出している、そういうように感じました。
聖アトス山、ギリシャ正教の発祥の地だそうです。
これもかなり長い間、見とれていました。
画面右側からの光が入ってきているあたりが、素晴らしかったです。
あと、聖母の造形! やー、やっぱりいわゆる《西欧》のマリア様とは違うお姿でした。
『ロシアの農奴制廃止』
これ! これもすごかったです。6月なのに、空調が効いている室内なのに、鳥肌が立ちました。
冷気、寒気が流れ出てくるような一枚でした。
ロシアはスラヴ圏内で、農奴制廃止が最も遅い国だったそうです。
この絵にも、子供を抱いた母親が描かれていて、その視線は、また絵画鑑賞者に向けられている。
何と言うのかなあ、ミュシャの分身なのかなあ、とも思ったりしました。
『スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い』
未完制作品だそうです。一部下絵状態のままのもので、ミュシャの生前は公開されなかったらしい。
やっぱり色が薄い、塗りが浅い、というイメージを受けました。
画面左にいる男性が手をあげているポーズ、これがナチスの敬礼に似ているため問題になったそうで。
(もともと、この礼は古代ローマ式のもので、ナチスとは全然関係ないんだそうですが)
こういったことにもナチスは影を落とすのだな。
オムラジナ会というのは、当時の若者の愛国者団体だそうです。
中央の樹に座っているのが、スラヴの守護女神スラヴィア。(守護聖人じゃないところがすごくいい)
画面左で、竪琴を弾いている少女はミュシャの娘ヤロスラヴァがモデル。
右にいる少年は同じく息子のイジーがモデルだそうです。
これもまた聖書がチェコ語に翻訳されたことをテーマに描かれた絵だそうです。
16世紀後半、イヴァンチツェ(これは地名だそうで)の兄弟団学校で聖書をチェコ語に翻訳し、また秘密裏に印刷も行なわれた、と説明にありまして。
ミュシャが生まれた時点では、もうチェコ語の聖書はあった、ということになります。
それでも。
『スラヴ式典礼の導入』で、スラヴ語での聖書翻訳をテーマとして描き、さらにチェコ語で翻訳されたことを改めて、この絵で描いている。
スラヴ語、チェコ語に聖書を翻訳するということは、おそらくわたしが想像するよりも、ずっと大きくて大切なことなんだろう。言葉、言語というものは民族の基層なのだなあ、と。
そしてこれにもまた、絵の中から絵画鑑賞者を見ている人物がいます。
彼です。
盲目の老人に聖書を朗読している、という図。
これは若き日のミュシャ自身がモデルなんだそうです。
「わかったか」
と言われたような気がしました。
立ち去りがたく、何度も戻ってきては、若ミュシャの前でうろうろして、何か話しかけてくれないかなー、ウィンクとかしてくれないかなー、などと考えていました。(してくれませんでした)
ノートブックにも書いたのですが。
わたしは、例えば美術でも物語でも音楽でもなんでも、例えば画集とか本とか、CDとかが欲しいのではなくて。
それを見たり聞いたりしたこと自体を、身体のうちに落とし込みたい。
咀嚼して呑み込んで血肉にしたい、取り込みたい。その方法が、たぶん、ノートブックに『書く』ことなんじゃないかなあ、と思います。
なかなか、見たことや読んだことが文章にならなくて、言葉が見つからなくて四苦八苦して、捻り、絞り出すような、そんな思いもあったりなかったりするんですが。
それでも、書いたことはわたしのものになったような気がします。
近世になって国家の概念が大陸とそこに暮らす人々の心をずたずたにひきさいてしまうまでのヨーロッパは、ことばや、川の流れや森の広がりなどによって今日よりはもっと(政治的ではないという意味で)、自然な分かれ方をした土地だった。
どこの国の人間というよりは、どの地方のことばを話すかのほうが、たいせつだったにちがいない。
あるとき、これは長年、日本に住んでいるベルギーの友人、ルイと話していて、彼が、ぼくたちフランス人はねえ、といって私をびっくりさせたことがある。
あら、あなたベルギー人じゃなかったの? 私が彼の青い目をのぞきこんでたずねると、彼は、うるさいなあ、いちいち、というふうに、肩をそびやかした。政治と土地は関係ないんだよ。そんなものでは分けられないものがあるさ。ぼくらは、ベルギー人みたいな、フランス人みたいな、さ。要するにどっちだっていいんだ。ぼくの両親だって、兄弟だって、僕の周囲の人間はみんな、だいたいそういうふうに思っている。
『ユルスナールの靴』須賀敦子
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