ノートを書いていて、厚くなり、重くなるのはフツーなんですが。
どうだろう、買った時点で、もう「重い」文具ってなんだろう。
より「軽く」より「軽量に」というのは、セールスポイントのひとつですが。
逆、まだ書いていない、使ってない時点で「これは重い」というような文具。墨?紙?
以上前振り終わり。
2017年、いくつか美術展に行きました。
なんとも、心に残る、食い込む、くさびを打たれたような、そんな忘れられない展示、作品に出会うことができました。
その中でも、とくに印象的だった展示、インスタレーションなどをちょこっと紹介しつつ、わたしは『どういうものに惹かれるのか』ということが、うすぼんやりわかった気がしたので、そういうことをまとめようと思います。
1)繰り返しでてくるもの
6月にミュシャ展に行きました。
スラヴ叙事詩の展示です。こちらでも記事を書きました。
スラヴ叙事詩の一連の作品の中で、何度も『鑑賞者を見ている人物』が描かれていました。
女性だったり、少年だったり、それはいろいろなのですが、ミュシャの分身なのかなあと思いました。
(ひとりは、ミュシャの少年時代だと、きっぱりキャプションに書かれていましたが)
繰り返し描かれるモチーフというのは、造り手のウィンクであり、また指紋でもあるのだろうなあ。
どの絵の『鑑賞者を見ている人物』も、鑑賞者を睨みつけ、問いかけるような視線でした。
チェコのひとのみならず、世界中のひとが、この『鑑賞者を見ている人物』を見て、どんな対話をしたのかなあ、などと思います。
2)同じもの
(えっ、1)とどう違うの)(いや、その)
吉田博展も見てきました。水彩画と版画がメインの展示で、これもほんとうに素晴らしかったです。
特に版画! とくに見惚れたのがコレ。
同じ版に違う色を置いて、朝、昼、夕方、夜を刷り分ける!
同じ絵なんだけど、色で時間を表現する! なにそのせら得!!
他にもエジプトのスフィンクスの絵、これも版画で、色を使い分けて、朝ヴァージョンと夜ヴァージョンがありました。すばらしー。
わたしは、同じもので、かつ、ちょっとだけ違うものが、とても好きだなあ。
(東郷青児記念美術館で見たのですが。なんと。ゴッホのひまわりがありました。吉田博は模写もしていたので、それかなーと思ったら、明らかに展示方法、セキュリティの厳しさが違いました。ご本尊の絵でした。あと、そのひまわりの両横に色の密度の高い絵があったので、ゴーギャンとかルノワールかと思いました。ゴーギャンとセザンヌでした。気をつけして見ました。)
3)温度、体温、触感
兵庫県立美術館で『怖い絵展』も見てきました。
メインのレディジェーングレイの処刑の絵。
なんていうか、すごく鮮やか、フレッシュ、という印象でした。
レディのドレス(というか、下着姿なのですが)の胸からウエスト部分のシワが、なんていうかものすごくリアル、立体的に見えました。
あと、左手のすべすべした感じとか、そのひんやりしていそうな体温が、感じられるような。
もちろん絵なので、体温は伝わらないし、絵を触ることもできないのですが、見るだけで、体温や感触を想像させるってすごいなあ、と思いました。
PCで見る画像よりも本当に瑞々しい、生きて血が通っている、そんな絵でした。
もうひとつ。横浜トリエンナーレも見てきました。
2017年のテーマは『島と星座とガラパゴス』
(台風がきていて大変だったとか、コンビニエンスストアで買った『のり弁当風おにぎり』に感動した、とか、またまた【偶然に】待ち合わせしていなかった友人と出会った、とか、銅鐸パフェを検索せずに想像してオモシロかったとか、あるんですが)
これで、見た(というか)インスタレーションがほんっっっっっとーに、目が覚めるようでした…!
MAP OFFICEという香港のアートグループの作品です。
ISLAND IS LAND という一連の作品で、島のオブジェと、本物の植物(南国風の椰子とか)が植えられていて、三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹などの小説の冊子もあって、その小説の朗読が流れているというものなんですが。
その冊子を取った時、砂が数粒 ぱらぱら と 手に落ちました。
(置かれていた植物の砂、というか 土)
この瞬間は、今でも忘れられません。
島のオブジェの細かい作りや、朗読の内容はあまり憶えていないのですが、右手の手の甲、親指の付け根より少し右下、頭痛のツボ?あたりに落ちた砂粒、の、乾いた感触、言葉をなくして、ただ、その感覚に集中していました。
トリエンナーレでは、他にもいくつか面白い作品があって。
イタリア人アーティスト タチアナ トゥルヴェが造った『見当識喪失の大地図』というインスタレーションが、ブース丸ごと使って展示されていました。
その部屋に入る時、スタッフさんが「足元にご注意下さい」と何度も言っていて、しばらく見て回っていたんですが。この部屋の床は敷物があって、壁際ではまくれあがっていたりして。
全体を見回して、わたし、思いつきました。
わたし、オブジェの上、インスタレーションの上に立っている…!
これに気がついて、一回、部屋を出て、また入り直しました…!
前回のトリエンナーレでは、【持って帰っていい】オブジェがあって、頂いてきたことがあるんですが。
これも貴重な経験だったなあと思っていますが、今回また【作品の上に居る】、すごい…!
わたしの脚の下に作品がある…!!
4)楽しい
同じく兵庫県立美術館『ベルギー奇想の系譜展』&国立国際美術館『バベルの塔展』
ざっくり言うと。ヒエロニムス ボスやブリューゲル(主に父)がメインの美術展ふたつです。
ほんっっっっとーーに楽しかったです。絵がオモシロい。
だいたい500年ほどまえに描かれた絵なのですが、全然古くない。
これなんて、サイバーパンク、ポストモダンっぽくないですか。
(ちなみに、これは『ベルギー奇想の系譜展』で見て、一番気に入ったものでした。もう生涯見られないかも知れないと、何度もこの絵の前に戻りました。その数か月後、『バベルの塔展』でまたお会いしました。ご、ご無沙汰しています的な)
あと、ブリューゲル(父)が描いた七つの大罪の絵!
ほかにも。
これなんかもイイ。
楽しい。
この絵を見て、七つの大罪について「改めよう、慎もう」と思うより「やー、やっぱり楽しいよなー!」て、なりませんか。
なんかもう、ひとつひとつ端っこから順番に確認しつつ見たくなる、そういう絵でした。
(えー、美術館でも「七つの大罪」の絵の前のひとは、なっかなか進みませんでした。そんで、七つの徳目の絵は、お客さんたち、サクサク進んでいました。……じっくり見ないのだねー……)
絵の中に、あきらかに「ひとではない」クリーチャーがわらわらいるんですが。
これが、もう本当にカワイイ。カワイイのです。16世紀フランドルのゆるキャラ?
(バベルの塔展では、公式キャラクターになっている魚のキャラクターがいました)
なかでも、『聖トゥヌグダルスの幻視』高慢のキャラクターが大変かわいくて、
この絵の左端にいるヤツが、わたし、すごく気に入りました。
あと、ものすごく思ったのが、ブリューゲル(父)のバベルの塔の絵。
バベルの塔というと、ひとびとが天に挑む、天に届く塔を造るという野心的な挑戦の象徴なのですが、この絵は、とても牧歌的で、楽しそうでした。
こう、歌でも聞こえてきそうな、のどかで、おおらからで、ゆったりとした時間が流れている、へへっ と笑いたくなる、そんな絵でした。
美術展ではなくて、映画なのですが。先日、見てきました『謎の天才画家 ヒエロニムスボス』
ボスの『快楽の園』の映画なのですが。
これもほんっっとーーに楽しかった。
この絵のファンの画家、指揮者、作家、歌手、美術家などが、それぞれの視点からコメントをして、それがものすごくオモシロかったです。
あるひとは「ここは僕たちが住む世界ではない」と言い、別のひとは「地獄の絵、ここからどうやって逃げよう。ダンテに尋ねよう」と言う。
また別のひとは「芸術の廃棄令が出ても、この絵は必ず守られる」と言う。
「この絵はダンスだ」
「この絵を見た人は、誰でも物語を作ることができる」
「文学に例えたら、ダンテの神曲か、バルザックの人間喜劇だ」
「音楽、メロディでもある」
表現者、ものを造るひとたちが『快楽の園』の絵のなかに、自分の専門分野を見つける。
たしか、絵の中のひとのお尻に、楽譜が描かれていて、そのメロディを口ずさむ歌手のおねーさんがいました。
「あら、歌えるわー」と、楽しそうでした。
でたらめではなく、ちゃんと作曲家が書いた楽譜のようです。
そして本当に素晴らしいと思ったのが、このコメント。
「この絵を語るには、新しい言葉が必要だ」
2)と重複するんですが。
この『快楽の園』を見て、あるひとは「ここは僕たちの住むところではない」と言い、
別のひとは「ここに(鑑賞者は)自分自身を見つける」と言っていて。
すごい…! 同じ絵を見て、正反対のことを思わせることができるって、すごい…!!
(ボスは、そういうことを想起させるためにこの絵を描いたワケではないと思うのですが、ひとによって見えるものが違うものを造れるってすごいなあ)
5)わからないもの
え、これはナニ?と思うものだなあ。
意味がわからなくても、造形がオモシロい、色が好み、何か心にひっかかる、引っ掻き傷のように残る、もっとひどい痛みとなって残るなどなど、そういう作品も好きだなあと思います。
これもトリエンナーレで見た作品なのですが。
『使者は完全なる領域にて分岐する』イアン・チェン
完了しないアニメーションです。終わらない。
未来世界、AIがセレブリティの遺体を蘇らせ、犬の姿の使者を使って遺体にストレスをかけさせ、その反応を観察するというコンセプト。
背景の野山、植物などがとても美しい。そんでその植物も踊る。生き返ったセレブリティがよたよたと歩いている(逃げている?)犬たちが追う。
悪い夢でも見ているみたいで、終わらないし、なにか事件が起こるなどの展開もないし、よくわからないし、うわー!イヤーー!(嬉)と思いながら、しばらくの間、見ていました。すばらしかったです。
これもトリエンナーレで見たもの。とにかく造形がすばらしー。
なんだと思いますか。これはなんだ、と思わせる、そのための作品。
そしてこれまた4)と重複するのですが。
ヒエロニムスボス、ブリューゲル、その他の絵、楽しいですが、わかりません。
『快楽の園』なんて、隅から隅まで順番に見たい絵ですが、わかりません。
映画では、作中で「ボスの望みは、謎を解かれることではなく、謎と共に鑑賞者がいること』だと言っていました。
何を思う? 何を考える? と問いかけてくる、そういう作品が好きだなあ。
もうひとつ。バベルの塔展で見たディルク・バウツという画家の作品。
キリストの頭部だそうです。
個人が部屋に飾って祈るために、バウツに描かせた絵です。
絵の良し悪しではなく、好き嫌いでもなく。
十字架じゃなくて、キリストの顔なんだ、とか。
描いたひと、キリストの【顔】を見たことないはずだけど、イメージで描いたんだろうなあ、とか。
それでも描くんだ、とか。
これを見た時、なんともフに落ちない、納得、理解できない、おそらく、時代、国、宗教、すべて違うからこその「わからない」なのだろうなあと思いました。
そして、これだけ納得できず、フに落ちない絵は、かつて誰かが『祈る』ことの対象だった。
おそらく(これまでも)これからも「わからない」ものの方が多いと思うのですが、せめて「わからないから、つまらない、下らない」とは思わず、理解できなかったとしても「わからない」ことを受け入れる、それを楽しむ、という方向を選びたいと思います。
今年も、オモシロい、楽しい、わけ分からない作品をたくさん見ることできたらいいなあ。
■おまけ ◎フランドル美術のゆるキャラそのに
■おまけ ツリーマン
■おまけ
私はガリオの「私たちの心が感じることは、私たちの力のおよぶことではありません」という言葉が好きだ。
キニャール『アルブキウス』