こう書くと,僕がどこぞのマザコンみたいに思われるかもしれないが,僕は母がわりと好きである.
大体,意見を求めると,とても的確な答えをしてくれるのが一つ.
もう一つは,私が独自に意見を述べると,ふんふんとうなづいて聞いてくれるからである.
そんな人,この世の中にそう多くはない.本当に残念なことだけれど.
母の若いころの手紙を読んでみたいですか,という質問を見て,思い出したことがある.
それは,僕が,父が母にあてた手紙を読んだことがある,というものだ.
正確に言うと,父が父になる前に,母になる前の母に向けて送った,プライベートな手紙である.
2人はおつきあいしていたのだ.
僕はそれを何かの拍子で家の中で拾い,母にかえした.
内容を見たのだけれど(というのも,読む前までそれが手紙だってことなんかに気づかなかったものだから),内容自体は大したことはない.
I love youもなければ, I miss youもない.簡単なお礼と,次の約束を取り付けるようなものだったと記憶している.
しかし,結構奇妙な体験だ.私は母になった母にしかあったことがないし,父になった父にしかあったことはない.
そういう意味で,父になる前の父の手紙を読んだので,母になる前の母の手紙を読まないと,なんとなく気持ち悪い感じもしなくもない.
ただ,そんなことはきっと起こらないだろうと思う.
今の若い人たちは,手紙って送るんだろうか.
僕みたいに,奇妙な体験をするには,それが未来において参照可能な形で保存されていなければならない.
I love youだの,I miss youだのが.
しかし,LINEもメールも,きわめてパーソナル形で残されるか,あるいは消去される.そこに,あたかも何もなかったかのように,消えてしまう.
おそらく,僕みたいに奇妙な体験をできる人は,減っていくんだろう.
私はすべてを記録できないし,すべてを記憶することもできない.
それが人生なんじゃないか!と快闊に語ることができたら,どれだけいいだろう.
僕の根暗な性格では,それは難しいかもしれない.
手紙ぐらい,時々書いたっていいじゃないか,と思うのである.
恋文を 量りし夕凪 畳薫る
neokix