もう2か月以上も前のことになるが、地元の動物園にバクに会いにいった。
6月の、まだ梅雨の最中で雨の合間を縫って普段乗らないバスに乗っていった。
バクに対して「絶滅危惧種」である、それだけを知ってバクに会いにいった。
動物園にいたマレーバクはクニオくん、という名前だった。
私はそのパンダにも負けない「白と黒のコンビネーション」のデザイン、つぶらな丸いお目々、そして不思議な爪先を見つめた。
ずっと心の中で「クニオくーーーーーーーん!」「クーーーーーニーーーーーーオーーーーーーくーーーーーーーん!!!!」と叫んでいた。
理由はわからない。
ただ、このとき、自分はショックを受けていたのだと思う。
まず、平日の朝早くから訪れた動物園は閑散としていた。
それなりの広さは確保されているのだろうが、たった一頭でそこにたたずむ動物を見てなんとも言えない気持ちになった。
それから、クニオくんのパパはもう亡くなっていて、ママも今年の5月初旬に亡くなっていた。
クニオくんはこの動物園の「たった一頭」のマレーバクとなっていた。
クニオくんはまだ子どもだったが、彼は病気だった。
マレーバクの赤ちゃんは、イノシシの子どものような「てんてんつー」という白い模様が身体を包んでいる。
クニオくんもうり坊ちゃんのような模様があったが、治療のため手術をしたら、そこの模様がなくなってしまった。
それにこの病気になったマレーバクの前例はなく、また手術でもどうにもならなかったのでそのまま縫合して終わったそうだ。
クニオくんは「バクエリア」をうろうろし、えさを食べ、落ちていた木の枝をくわえて遊んでいた。
私はたまらない気持ちになり、ずっと「クニオくーーーーーーん!!!」と心の中で叫ぶしかできなかった。
昼時近くになり、バクエリアそばの「食堂バクバク」で昼食を食べた。
「大人だもんね」とビールも飲んだ。
動物園の意味と病気で一頭だけになってしまったクニオくんのことを考えると、答えは出るはずもなく、どんどんつらくなっていきながらキリンにかたちづくられたハヤシライスを食べた。
酔っぱらったまま、私は再びバクエリアに戻り、クニオくんを見ながら持参のモレスキンを開いてあれこれ書きつけた。
なんだか泣きそうになっていた。
いつまでもそうしているわけにもいかず、私はモレスキンをリュックにしまうと立ち上がり、クニオくんにさよならをして歩き始めた。
あれから2か月経つが、心のもやもやが晴れることはない。
しかし、動物園をめぐる中で「動物園の意味」について考えさせられる動物も見た。
きっと動物園にいる動物たちは、「かわいそう」だけじゃない。
マレーバクは夏になるとプールに入って潜水するそうだ。
Twitterで他の動物園のプールの水中を歩いているマレーバクの動画を見ては微笑ましく思った。
その中にはあのクニオくんもいた。
バクエリアのプールにクニオくんは入っていた。
クニオくーーーーーーーん!!!
私は久しぶりに心の中で、クニオくんの名前を叫んだ。
そして元気に夏を過ごしているクニオくんを見て、またもや泣きそうになった。
よかったねぇ。よかったねぇ。
なにか言いたいのに、ことばにならなかった。
この「獏部エア部活」について、まずは自分のブログに書いてみた。
考えもことばもまとまらなかったので、まずは自分の陣地である場所で書いてみた。
それから2か月経ったが、やっぱりまとならないままだったので、まとまらないままNotebookersに「獏部エア部活レポート」として書くことにした。
ことばにしたくてもならない。
絵にしたくてもできない。
そんなもどかしい思いをNotebookersを訪れる人たちなら、ちょっぴり共感してもらえるんじゃないか、と思ってる。