「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。
今回は、寺山修司さんの歌稿ノートを味わう。
出典

寺山修司未発表歌集『月蝕書簡』(2008年2月28日:岩波書店)巻末資料
はじめに
寺山修司さんが短歌に関わったのは、十代の終わりから二十代半ば過ぎまで、デビューして最初の十年ほどである。
(同書 p.217 解説 佐佐木幸綱)
寺山修司にまた短歌を書いてみようと思い立たせたのは、1973年(昭和48年)三月二十二日のことである。
(同書 p.201 『月蝕書簡』をめぐる経緯 田中未知)
当時、「海」の編集者の吉田好男氏に(・・・)「寺山さんがまた短歌でも書いたら僕のところで載せるよ」。
1973年から十年かけて作られた短歌は、いろいろな紙片にメモされ、私の手元に遺された。そのうちでも、短冊形に切られた紙に一首ずつ、4Bの鉛筆できれいに清書したと思われるものは、一応完成作品と判断した。これが六十首ほどを占める。
(同書 p208 同上)
写真資料に中にある大判の画帖には思いつくままのことばの断片が縦横無尽にしたためられている。(・・・)そのほか、旅行中のノート、航空便箋、絵葉書の裏など、手元にあったと思われる用紙に、なぐり書きしている。
写真1

ほぼ、句としてまとまったものを書いたものだろう。後出の画帖に掻き出したイメージを一行短歌形式にコラージュなどして書き連ねて調子をみているものと思われる。助詞と形容詞が検討され、さらに不要な言葉、さらに適切な言葉を求めているところか。それにしても驚くほど訂正が少ないと思う。語順の入替はほぼ見受けられない。「水の音―」のとなりの行に表れている「墓石を」が、行を改めて「満月に墓石はこぶ―」として記されているところに、私はひじょうな興奮を覚える。また「名付け親―」の下の句が空欄である点もおもしろい。
写真2

先述した「短冊に一首ずつ清書されたもの」である。画用紙を切ったものだという。写真1、のようにノートで推敲を重ねたのなら、完成作を完成作用のノートに書けばよいと思うのだが、わざわざ別の紙に書いて貼り付けるというのがおもしろい。
三首目はさらに「に漂ふ」を「を泳ぐ」と直している。また、五首目の下の句「地球儀の中は空洞」の行の「中は」の右に「内なる」と書かれている。本編収録短歌は「地球儀の内なる空洞」だが、この段階ではまだ「中は」が消されていない。
推敲という果てしない苦悩。おそらく、ノートに書いている間は、推敲が終わらないのだろうと想像する。別の紙に書き出すことでようやく、その短歌を推敲していたノートのページを離れることができたのだろう。「もういい」という気分になるのに違いない。それでもまだ直したくなる。
というのは想像で、単に、歌集収録の際の順番を決めるため、短冊にしておいたほうが便利なのだろうと推察する。
短冊は束となって残されていて、分散しないようノートに貼ったのは田中氏とのことだ。
写真3

田中氏の解説によれば
詩集、歌集など、一冊にまとめようとするときは布製カバーの大判の画帖を使用。ページごと縦横無尽に思いつくまま、メモ書きされている。
(同書 <資料>歌稿ノート 写真・文 田中未知)
とある。
天地もなく、矢印や丸囲みが頻出するこうしたメモ書きを見ているのが好きだ。何も決まっていないところから思いつくままに言葉を書きだし並べていくノートは大きければ大きいほどいいと思う(全体が一目で見渡せることが大事)。目の端にでも映ればそれは必ず刺激となる。むしろフォーカスのない部分のメモ書きをなぞっているような気さえすることもある。「文」を「句」と「語」に分節し、繋ぎ変えて、付け足し、削除し、組み換え、また付与し減衰させていく作業は、ひじょうに「空間的」な感覚がある。そういうとき、時間はあっという間にすぎさっていく。
写真4

ここから始まる。全てが寺山調である。
私は以前、寺山修司さんの短歌のうち、ぶったぎって俳句になるものを列挙し、改めて短歌と俳句の違いを考えるという、たいへん失礼な読み方を楽しんだことがあるが、この断片にも、「三枚の畳をわれの枯野とし」や、「演説や十一月の海の杭」などがあって、興味深いが、むしろ、文字数に囚われない語句がもつポテンシャルに痺れてしまう。
「指人形は」の部分に長くひかれた矢印の先に「だまされて」があり、この距離が生まれた理由などをあれこれ類推するのもまた楽しい。
こういうノートこそが「ネタ帳」とよぶにふさわしいのだろう。ここから、写真3、写真1を経て、写真2、の短冊へと昇華していくのである。
おわりに
義母十夜「主婦の友」より切り抜かれ悪夢の中の麗人となる
同書 p197 個への退行を断ち切る歌稿―一首の消し方 寺山修司 (『月蝕機関説』所収、冬樹社、1981年)
と、書いてみる。
それから、『主婦の友」がいいか『少女倶楽部』がいいかについて考えてみる。
寺山 ぼくらは体温三十何度かの血の流れているスピーカーですよ。しゃべっている言葉だって、おととい書物で読んだり、きのうテレビで聞いたりしたものばかり。それが頭の中でコラージュされて、通過して出ていくわけですよ。あしたはもうからだに残ってない言葉もあるし、うまく出ていかないで、何年も体内に残っていたりするものもあるかもしれない。いずれにせよ、それは、その程度のものだと思うんですね。それが、日本という一つの全体性の過去の復元過程の中で文芸としてとらえられていくか、あるいは自分が記憶と記録のはざまの中で、自分のからだの中にとどめられてあるか。
現代短歌のアポリア―心・肉体・フォルム 佐佐木幸綱・寺山修司 月蝕書簡栞より
最近、短歌でも俳句でも(散文だとそういうことはない)、ほぼ日手帳weeksMEGAの方眼ページに、写真4や写真1のようにうなりながら書いていて、それはたいてい、twitterや投稿サイトで公開するために作っているものなので、手帳の上でほぼ形になったところで、フォームに入力するのだが、その、フォームに入力した直後に、さらによい(と自分が信じる)形がパッと浮かんでくることがよくあって、それが不思議だ。
アナログだから思いつかない、というのではないだろう。たぶん、自らの手癖のある文字で見ているのと、フォントに直されたものを見るのとでは、気分が変わるのだろうと思っている。だから、寺山さんが、画用紙に清書をする気持ちは、これと似ているのではないかと勝手に想像しているのである。清書の瞬間こそが最大の校正チャンスであり、その瞬間を味わいたくて私は何度でも推敲したいのだと思っている。