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「孤独」を巡る随想 りっか

Posted on 28 6月 2013 by

2013年下半期マンスリースケジュールをつくった話を書こうと久々にこちらの投稿画面を開いたら、下書きにこんな記事を保存してありました…忘却の彼方でした(絶句)。

いつ何を思ってこれを書いたのか、もう忘れてしまったのですが(動機は多分、タカヤさんのツイートだと思うのですが)、せっかくなのでひっそり上げておこうと思います。

****

 

「孤独」ほど、深淵かつつかみどころのないテーマはないように感じています。

 

「孤独」という言葉を「寂寥」や「悲哀」のムードで覆うのが嫌いなので、

その意味ではlonelinessよりもsolitudeがまだあたると思いますが、

同系にはsolitary、solitaire、果てはsoloまであり、

要は「ひとつ、いち」な訳かなぁと。

個人的にはsolidのイメージも出てきますが、それは多分に主観的な連想に過ぎないと思います。

 

そんな、純粋なるひとり・ひとつ・いち、で(当社比ではsolidでもある)「孤独」についての雑感。

 

とりあえず、生きとし生けるものすべて、「孤独」であるのは間違いない。

いち、と数えられる時点で孤独なのだ。

なんなら、生きていないと見られるモノもそうかもしれない。

 

しかし、こと人間においては、どうしてこんなにも「孤独」が膾炙すべきmatterやagendaとなり得るのか。

それは「孤独である」と認識せざるを得ない「意識」ってやつのせいじゃないかと、常々疑っている訳です。

 

江國香織が、「孤独」についてよく言及していますね。

あるいは「絶望」についても。

氏自身、「あかるく絶望しているものが好き」と発言しています。

 

私はこの、江國の定義する「孤独」と「絶望」が未だ読み解けないままですが、

ではたとえば、筒井康隆「虚航船団」で登場した、雲形定規はいったい、「孤独」なのでしょうか。

あるいは、萩尾望都「マージナル」の4人のキラは?

集合意識を持った複数の個体、というのは、孤独なのでしょうか、そうではないのでしょうか。

もし彼らが一生懸命「孤独」を体感しようとしたら、その語の定義と自分の状態との齟齬に頭をかきむしって混乱しそうな気がします。

(まあキラたちは、そもそもの出生に問題があるので、また違うかもですが・・・)

 

バラード「結晶世界」で描かれた、結晶化の際の「とろけるような心地よさ」はまさに、

ひとりとして、ひとつの完全な生き物として、そのsolidさを保っていなければならない戒めからの解放に見えます。

解放されてとろけた精神にはもう、「孤独」がガスのようにまとわりつくことはない。

一種の「救済」です。

 

再び江國作品に戻って、主人公が「すーん」とする、と述べるくだりがあります。

子供の頃から、突然「すーん」がやってくる。

「すーん」についての一生懸命の説明を受けた母親は、「それは、さびしいのよ」と断定するのですが、

主人公がそれに納得した風情はありません。

また吉本ばなな作品(初期)の中でも、ある種の「孤独感」について語られた箇所がありますね。

 

孤独とは、

既に遍在している「事実」であり、

体感・感覚をもって存在を想起され、

時に非常に感情を苦しめるものである。

 

という感じがします。

 

「孤独と向き合う」

と、

「孤独が苦しめる感情や気分と向き合う」

とはまったく別個のものであり、

「孤独と向き合う」

とは、

「徹底的に”ひとりであること”と向き合う」

ということなのだろうなぁ、と思うわけです。

 

「自分」を、他の誰とも違う、他にはどこにもいない存在だとして、徹底的に見つめてみること。

「人々の間にいて、ひとりでしかいられない自分」ではなく、

「純粋な意味で、ひとつの個体である自分」として見つめてみること。

古語ではsolitaireは「隠者(hermit)」の意味であったそうです。

まさに、暗闇の中、知恵の灯を見つめる賢者の姿。

知恵は孤独から生まれる。

個人的にはそこでは「愛」も生まれると思います。

 

孤独を悉知すればするほど、「自分は自分でしかない」ということが当為となっていく気がします。

実は、世界との関係も、他者とのつながりも、そこを起点にしか生成されないのですが、

そうはいっても現実、そんなにstrictかつsquareには生きられないモノですね。

ここに、「孤独」にまつわる「大変」「寂しい」「厳しい」「悲しい」「可哀想」的なるイメージが入り込む隙が生まれるのかと。

 

ただ、純粋なる孤独の世界では、

他者の介入する場所はいったん無になります。

また、時間の介入も無になる。

今・ここ・自分しかないわけです。

そこでは確実に「自由」がもたらされます。

どこまでも広大な「自由」です。

 

何がどうであろうと、とにかく自分は自分ひとりしかいない。

その地平から徹底的に離れずにいる時間を日常に取り込むのは、

いいことである気がします、経験的に。

 

 

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Profile: twitter:@riccasnow。@rairaq_osk、@gakuan_sr あたりも私です(仕事用?です)。大阪堺市で小さな学習塾の経営と講師をやっています。多ノート派、多万年筆・多インク派。地上と天を結びつけたい超スピリチュアリスト。相反する要素が極端な振れ幅で同居する、太陽魚座で数秘11。「夢をかなえて幸せになろう」が合言葉。

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