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ノートブックを手放すとき

Posted on 23 2月 2012 by

ノートブックが人生の記録になると同時に、その記録が重過ぎて前に進めないことがある。

ノートブックは捨てなければいけない時があるのかも、ってお話。

ちょうど一年前、私は大事なノートブックを捨てた。人生初のモレスキン。

もちろん、なんとなく捨てた訳ではなくて、振り返らない方がいい時期の日記だったから。前に進むためには当時の私には荷が重過ぎる存在に思えた。

モレスキンを使い始めたのは、大体3年半前。ある強い思いを持って、その気持ちを貫くことを自分に言い聞かせるため。
タカヤさんをネットで見つけて知って、ずっと気になってたノートブック。

ハードは重そうだったので、ソフトラージのプレーンにした。

書いていけばいくほど、自分の思い、気持ちを尊重できるノートブックなんだなってことを実感する。

でも、途中でその願いは叶わないことが分かると、モレスキンなんて高級ノート自体に嫌気が差して、書くのをやめてしまった。

でも、手元にモレスキンがあることで願いを断ち切れなかった。常に淡い思いはあったんだと思う。

ある日、ものすごい衝撃でその願いは打ち砕かれる。

その瞬間、深夜1時。一人でいることに耐えられなくて、友達に連絡して、うみほたるまでドライブに行った。(平日なのに明け方まで付き合ってくれた友達神!)

冷たい海風にあたると、悲しみも少し吹き飛ばされて、頭も冷える。

そこで私が言った言葉は、「私、日記捨てる。」

もう、この時のモレスキンは私の気持ちそのものになっていたんだと思う。

気持ちを振り返らないためにノートブックを捨てる、というよりは気持ちそのものを捨てるような感覚。

前に進むために過去を捨てることが必要なように、ノートブックを捨てることが必要な時がある。

こんな強い思いを込めて、日記を書くことはもうないと思うけど、捨てるという選択は、いざとなったら必要なことなのかもしれない。

捨てたことで大きく困ったことは私にはない。そのくらい些細なことかもしれないけど、一時はやめた書くことが、私にとって生きるために必要なことになっている。

最後に抱きしめて大泣きしながら捨てたことだって、ちゃんと一年前の日記に。

今日は、亡き私の分身モレスキンの命日。あなたに捧げる感謝ははかりしれません。

おかげであの日から、少しはリニューアルしてる気がするよ。

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