このNotebookers.jpを通じての写真部。
Twitterで毎月新しいお題目を募集する際に以前はハッシュタグ #写真部 を一緒にツイートしていました。
実際にNotebookers.jpで写真部へ参加している方の他にも、実は写真部の方はいらっしゃったりします。
そして嗚呼ハッシュタグまだ何も考えていなかった……と反省。
その他には最近ですとiPhoneと新しくAndroidにも対応しているInstagramを介しての写真のお友達(と言うと少し失礼にあたるのかもしれません)が増えました。
ほわ、とフォロワーさんが増えていて、プロフィールを確認すると写真やMOLESKINEユーザーさんだったりといった事が増えました。
その中で同じ県内の相互フォローの方から封書が届く。

丁寧な文字に少し圧倒され、それは本当に書き慣れているなぁと思う滑らかな文字です。
岩手県一関市の市政情報課の方から、お願いしていた「東日本大震災 復興への道程」と「I-style 4.1」の2冊が手元に。

とても正直に言うと元々DTP(こういった広報までは行かないけれど文字を組んだりする仕事、紙印刷の版下を作る仕事、もっと簡単に言うと印刷屋でMacオペレータやっていた)経験があるし、今も文字組みとかフォントとかは興味もある。
更に、同じ県内の方であり、フォロワーさんであり、写真を趣味でもお仕事でもなさっている。
そんな事もあり、無理を承知でお願いしたものです。

「発生から1年の記録」の裏表紙。
あれ?一関市ってこんなに沿岸だったろうか。
私はかなりの年数を沖縄県で過ごしているので実は地理には疎い。
・2005年(平成17年)9月20日 – 旧・一関市と西磐井郡花泉町、東磐井郡大東町、千厩町、東山町、室根村、川崎村が合併し、新たな一関市(3代目)となる。
—wikiより引用—
成る程なるほど。
一時期岩手県内外、それこそ日本全国彼方此方だと思うんですが合併ブームみたいなのがあったなぁと思い出しました。
岩手県は過去の地名が無くなると言ったら極端ですが、私の居る地域も3町村が合併して市になった街です。
(沿岸北部に至ってはまだ知らなかったりする)
岩手県一関市は宮城県と秋田県に接しており、人口は約12万8500人とのこと。
そして先ほどの写真に戻ります。
恐らく多くの人がこの一年間で目にした地名だと思う。
陸前高田市、気仙沼市、南三陸町。
一関市はその街にも隣接しておりました。
「内陸と三陸は一つ。中東北の拠点一関の復興支援」
近助【近い所が助ける】
住民同士のお互いさま
行政同士のお互いさま
企業同士のお互いさま

一関市から伸びる矢印がありますよね。
よく見るとすべてが文字で構成されています。
いくつか抜粋させてもらうと以下の様な。
「救助隊派遣、行方不明者の捜索/避難所への避難者受け入れ/避難住民の健康診断、投薬、搬送/炊き出しの提供/避難所巡回バスの提供/保健活動/県外からの医療応援チームの宿舎提供/救援物資の提供・輸送、中継基地の管理」
ここまでが矢印の7行目までになります。
全体では30行の文字列です。

I 震災の概要
1本震
2011年3月11日午後2時46分
巨大地震が東日本を襲った
震源は三陸沖で、深さは10キロ
マグニチュードは観測史上最大級の9.0
市内で震度6弱の揺れを感じた
市は同日午後3時、災害対策本部を設置
情報収集に努めるとともに被災者への対応や
断水地域への給水活動、避難所の開設などにあたった

2 最大余震
2011年4月7日午後11時32分
再び、大きな揺れが襲った
震源は宮城県沖 深さ66キロ マグニチュード7.1
市内では本震と同じ震度6の揺れを感じた
この余震の発生で、市内は再び停電・断水に見舞われた
本震を超える数の住宅被害が発生
歩み始めた復旧・復興の足を止めるような
甚大な被害をもたらした
そして市内の被害状況は、
1 人的被害
2 住家被害
3 道路被害
4 ライフライン
5 公共施設
6 避難所・その他
上記のようなカテゴリーに分けて紹介されています。

そして一関市が行ったのは「沿岸への後方支援」という事。
1 物資支援
2 人的支援
3 医療支援
4 避難所提供
5 避難者向け住宅
6 情報の提供
7 ボランティア
中でも特筆したいのは6の「情報の提供」。
サーバーが被災したためホームページによる情報の提供ができなくなった陸前高田市からの情報を提供するためのブログを3月27日に開設(民間プロバイダのブログサービスを利用)。陸前高田市が発行する広報りくぜんたかた臨時号の記事を転載している

勿論、全国各地からの支援という項目もあります。
職員派遣、義援金・寄付金、寄せられた救援物資。

最後のページには資料として主な被害内訳が掲載されています。
様々な分野別に被害額と主な内容があるのですが、調査率も載っています。
農作物、学校・社会教育、社会福祉に関しては調査率が100.0%となっており、他の項目もおおよそ99%という数字です。
そして今残る問題として多く関心があるのは放射能について。
こちらも掲載されております。
環境放射能への対応とし、8つのカテゴリ分けです。
そしてI-styleこと、広報いちのせき。

表紙を捲ると「シリーズ駅 Vol.04 大船渡線 小梨駅」のページ。

第一特集は、「あの日から1年、367日目の空」

共に生きるという見出しです。
近い所が助ける「近助」
お互いさまの支え合い
「近助」の関係は、まさに互助。困った時はおたがいさまだ。いろいろなつながりから行われている後方支援の形をリポートする。
自治体同士 各分野のエキスパートとして
企業同士 千厩から復興を目指す
住民同士 サケの交流が生んだお互いさま
この3つのリポートが掲載されています。

「災」と向き合うという見出しです。
防災から減災への転換と備えの日常化を急げ
絶対を崩壊した想定外、防災から減災へ
そして、凧揚げ震災等復興プロジェクト(上記写真)
3月11日に国際姉妹都市オーストラリア・セントラルハイランズ市と同時刻にたこを上げる「凧揚げ震災等復興プロジェクト」。なんでも記事によると、その姉妹都市であるセントラルハイランズ市は2010年末から降り続いた豪雨で11年1月、記録史上最悪の大規模洪水に見舞われたそうです。その2ヶ月後、東日本大震災が発生。
凧揚げに使われたたこは、お互いの姉妹都市の生徒がたこにメッセージを書いて、100枚ずつ交換したものだそうです。
FRIENDSHIPやHappinessと書かれています。

そしてこちらは、半世紀ぶりに袋ねじり復活 震災復興を願う
なんとも臨場感のある写真が、この広報にはとても多く感じます。


狂犬病予防注射のおしらせや、募集、催し・講座なども勿論載っています。
日本全国で自治体が広報を発行している訳ではないと思うのですが、今回ご紹介させてもらう事が出来た、広報いちのせき、I-styleは、本当に読みやすく、写真がいきいきとしています。
文章と写真の構成がうまいです。
何より、しつこいんですが人の表情がとても生きています。
お仕事のこと、夢のこと、将来のこと、百歳というご長寿のみなさま。
狙って撮影する事も出来る写真もあれば、その瞬間しか撮れない写真もある中、どうやってこんな生き生きとした広報に仕上げているのか、と。
「わたしたちは市役所(あるいは役場)の職員ですので、プロではありません。」
そういった雰囲気が微塵もないんです。
本当に、上手いなぁって思いましたので、文面も長くなってしまったのですが、これでも相当文字や写真を削らせてもらいました。
実際に私が取材に赴いた訳ではありませんので、相互フォローして頂いている方にお願いして送って頂いた街の広報と震災に関する冊子、計2冊の感想文といった風に捉えて頂ければ、と思います。
ひとつ。
送って下さり、Notebookers.jpへの掲載、市役所へのリンクへ関しての問い合わせに対応して下さった方の言葉が響きました。
ツイートの中での言葉なのですが、市政情報課という事でカメラを持って被災地へ去年の春に行ったのだそうです。
私は聞きました。「撮影、出来ましたか?」
相手は言いました。「生まれて初めてです、シャッターを押せなかったのは」
と。
いつかこの目で見たい、見なければならない。
そうは思っていますが、私が現地に赴くのは当分先になりそうです。
一関市役所ホームページ
広報いちのせき
撮っておき いちのせき
ご協力と掲載許可など色々と有難う御座います。
今後も何か、同じ県の人間として、カメラを好きな人間として、色々な繋がりをたいせつに、何らかのアクションだったりが出来るとうれしいです。
そして、これからも一関市のサイトの更新たのしみにしております!
感謝!
小野寺 邦毅 様/@lcplado89
あやと/@Cloud_9__