「なつかしさ」,についてここひとつきほど考えている.
そりゃあもしかしたら「僕はかれこれもう30年もなつかしさについて考えているよ」という人があるかもしれない.
でも僕だって「なつかしさ」について考えてみたっていいじゃないか,とすねてみる.
さて,「なつかしさ」.なぜそんなみょうちくりんなことを考えているかというと,それは僕がジオラマ作家でもある南條亮(なんじょうあきら)さんの「人形が語る懐かしの昭和」と副題された展示会に,たまたま出くわしたからにほかならない.なによりも入場無料だから,ちょっと入ってみようという感じになったわけである.
入場無料!人形が語る懐かしの昭和-大阪「ジオラマ記念館」 | 大阪府 | トラベルジェイピー 旅行ガイド : https://www.travel.co.jp/guide/article/30304/
南條 ジオラマ – Google 検索 : https://goo.gl/oPxQDd
上の記事を見ていただいたらわかるけれど,戦後復興から,昭和までを時系列に歩く構成のジオラマである.
見ている人はやはり昭和生まれの人が多いような気がした.僕がぎりぎり昭和生まれだから(昭和60年代),それから考えるとやっぱり来るのは昭和な人たちなのだ.中には白髪のご老人もいる.
ジオラマは感心するほどリアルな感じがする.特に戦後復興.例えば,空爆で赤子を無くしたショックからか,かわりに犬をおんぶしている女性,あるいは派手な化粧でドレスを着て,米軍の将校に話しかけている女の人,戦争で片腕を無くしたのか,「更生のために」と書かれた看板を立てて,片手でハーモニカを吹く元軍人,喧嘩っぱやい男たち.
そして,そんな雰囲気を見ていると,つくづく「あぁこんな時代に生まれなくてよかったな」と思わされる.YouTubeもNotebookersもLINEもノートパソコンもない時代を経験してきたけど(それはほんの少し前のような気がする),それが煩わしいと思いながらも,やはりあったらあったほうがいいと感じるのは人の性か.
その後,やっと懐かしの昭和がやってくる.板張りでネズミの出る家や,ロバに群がる子ども,子どもたちがめんこやこまで遊ぶ姿,などなど.
さて,ここで気になるのはこの「なつかしい感じ」はどこから来ているのだろう,ということ.私はめんこで遊んだことはあったかもしれないけど,ロバに群がったことはないし,家でネズミをみたこともない.これを懐かしいと感じるのはなにかおかしい.なによりも,その資格がないような気すらする.
あるいは,私の感度が低いのだろうか.僕は,なつかしさをしんみりと感じるべきだったし,あるいは,ちょっと涙ぐむことがあってもよかったのだろうか?などと,少し自分を責めたりして.
「なつかしさ」とは何だろう.懐かしいとは,どういう感情なのだろう.
経験したことないことでも,なつかしさを感じるべきなのだろうか.
展示会のポストカード200円の懐旧
neokix