校区の外れにある実家と小学校の間には一本の川が横切っていてた。両親は幼い私を心配し通学以外での川越えを禁じていた。当時、私の友人の多くは川向こうに住んでいた。川を越えられない私は帰宅後多くの時間を一人で過ごすこととなった。この状態は単純に放課後の生活だけではなく、学校生活でも私を過酷な状況に置いた。
「今日ゲームやるから遊びに来いよ」
「いや、川を越えて遊びに行けないんだ」
「なんだよ、意味わかんないよ」
変化は小さな気付きからだった。あるとき私は両親から川とは反対方向への移動を禁じられていないことに気づいたのだ。両親も私が校区の外へと移動を拡大することは想定していなかったのだろう。彼らの定めたルールの欠陥をついた私の最初の抵抗だった。私たちは時として自分の置かれた環境から移動を迫られることがある。旅がもし、自分の置かれている世界から一歩踏み出し新しい世界に接点を持つことであれば、この行動は間違いなく私の最初の旅だった。幼い私は自転車のペダルを踏み「外」の世界へと渡ったのだ。
私は公園で見かけた同年代に、まるで最初からいたような顔で話しかけ、多くは知らぬ奴と拒絶され、時々仲間に入れてもらえるところで遊んだ。やがて顔見知りとなり、何人かはこの歳になるまで時々連絡をとり合えるような友人となった。最近帰省した際に当時の知人と会う機会があった。
「お前はさ、ある日気づくといたんだよ。んで、気づくといなくなってる。」
「放浪者かよ。」
「違うんだよ。うまく言えないんだけどさ。」
友人には二人の子供がいて、四角いファミリーカーと四角い家(北海道の家は大抵四角いのだ)のローンを抱えながら生きている。私は相変わらず、これといって何も持たず生きている。
東京に帰る飛行機の中で私は会話を思い出す。両親の決めたルールも。もし私が川越えを許されていたら、どんな人生を歩んでいたのだろう。また、
「ひょっとすると私は、まだ一番最初の旅を終えていないのではなかろうか」
とも。Dash 8のプロペラが回転を始めていた。千歳から函館を経由して羽田に帰る遠回りの特典航空券だった。時々するこの意味のない遠回りも、超えることを禁じられた「川」を本能的に避けるための、私の妙な癖なのかもしれない。(975文字)
Switch Publishingが発行しているMONKEYという文芸誌に「一番最初の旅」について、多様な人に1000文字で綴ってもらうという企画があった。面白そうだったので、僕にとっての「一番最初の旅」について書いてみた。