ミルクパンについて語るときに僕の語ること
ポーランドのemalia olkusz社の琺瑯製ミルクパン。
「ミルクパン」について語りなさいと言われると大半の男は困難さを感じるものである。
例えば、「手芸ショップ」について30分のスピーチをお願いします、と急にマイクを持たされると困るのと同じように、「ミルクパン」について30分間語り続けるのは難しい。
ミルクパンは、「牛乳を温めるのに適した径が小さく深めの片手鍋」である。
ミルクパンで、カレーを作ってはいけない。
その行為は、「この世で最もミルクを温めるのに適した道具」が持つ本質をねじまげてしまうような気がする。
鉄板焼きに鉄板が入っていないのと同じように、ミルクパンはミルクを温めていて欲しい。
たい焼きに鯛が入っていないのと同じように、ミルクパンが主張する「ミルクを温める」といった目的から外れて欲しくないのだ。ニワトリが卵を暖めなかったら、あなたは寂しく思わないだろうか?育児を放棄した親のニュースを見てあなたは残念に思わないだろうか?砂場にガラスを埋めてはいけないのと同じように、ミルクパンにはミルクが入っていて欲しいのである。
かろうじて豆乳を温めたとしても、なんとなくミルクパン道から踏み外れたような具合の悪さを感じてしまう。
ミルクパンにはフタがついていない。あくまでも用途としてミルクを温めるものであるので、長時間煮込むようなフタがついていてはいけないのである。
自分の人生においてミルクを温めた機会は、数えるに2回くらいだと思う。今後も僕はきっとミルクを温めることはないと考える。買ったばかりのこのミルクパンは、ミルクを温める機会を、台所の棚の奥底で震えながらひっそりと待ち続けるのである。
まったく関係はないが、カトリック圏の海外の習慣でパンケーキ・デーというのがある。
これは面白いことに火曜日と決まっている。この火曜日をマルティ・グラ(肥沃な火曜日)と呼ぶこともある。
これはなぜかと言うと、復活祭の4週間前は「四旬節」といってカトリック圏では重要な週間なのだが、その初日を「灰の水曜日」と呼ぶ。この日や、キリストの受難日は食事制限をしたり、四旬節の間はちょっとだけガマンをして、施しをしましょうといった習慣がある。このパンケーキ・デーは、四旬節に入る前の火曜日に卵を残さないために生じた習慣なのである(復活祭に卵を食べてお祝いするのはこういった意味合いもあるんですね)。
ミルクパンの話をしていたのに、パンつながりだけでパンケーキの話を書くなよ、と思った方は正解だ。知識をひけらかしたかっただけである。
ちびくろサンボのパンケーキはいくつになっても、とてもうまそうに感じる。トラがぐるぐる回ってできたバターのことを考えるとヨダレが出る。
まったく関係ないのだが、最近とあるパン屋さんでジューシーメイプルメロンパンというのを見つけて、食べてみたのだが恐ろしいほどおいしかった。
見かけはメロンパンなのだが、中にたっぷりとメイプルシロップが染み込ませており、焼き立てを食べると、中からジュワーっとメイプルシロップがメロンパンのカリカリの部分とからんで非常に美味なのである。
パンケーキの話をしていたのに、パンつながりだけでメロンパンの話を書くなよ、と思った方は正解だ。ただ自分の好きな食べ物ののことを伝えたかっただけである。
あまり関係はないが、自分が食いしん坊であることを女の子にアピールした上で、「こっちはメロンパン、こっちはフライパン。こっちは食べられるけど、こっちは食べられないよ」と可愛く言えば、きっとモテます。