Crayon Sun
以前、夏の正午に近所の公園を歩いているときに、子供がクレヨンで書いた太陽の絵が、風に乗って飛んできて、金網に張り付いていていたのを見た。
僕の正面には太陽の絵がパタパタとはためき、背後では本物の太陽が僕の首をじりじりと焼いていた。その、異様な時間が止まったような光景を見ているうちに、なぜか懐かしい気分となり、絵を取ろうと僕は手を伸ばす。しかし、時間が動き出し、その絵はどこかに再び飛んでいってしまう。僕らは必ずその太陽を手に取ることができない。「マッカナボウル」
そうBが言ったとき、どこか北欧系の都市の名前かと思った。ウラジオスクとか、トロンデラーグとか。
「前の日にお酒をのんでいて、お昼過ぎに目が覚めた。」
Bは僕の布団に入って僕をじっと見ている。
一呼吸おいて煙草にスムーズに火をつける。彼女の頬は真白で、すぐ下に血管が浮いている。真面目な顔をして布団から顔を出している。
「そういったとき起きるのってつらいでしょう?
憂鬱な気分でね、ベッドに入ったまま部屋の奥からベランダに目を移すとね、真青な空をバックに赤いボールがふわふわ浮いているのね。」
僕は頭の中で赤いボールを連想する。
どこにでもあるような赤いボール、気の効いたロゴが表面に描かれているのではなく、ゆで卵みたいにつるっとした表面でシンプルなボール。どこか懐かしい感じさえする。
Bは話し続ける、子供のような表情をしている、よっぽど妙な驚きだったのだろう。
「それは空中で止まっていて、しばらく私の前にあって、ベランダで干しているブラジャーかなんかがパタパタいっているのよ。」
Bは手のひらを布団から出してひらひら振ってみせた。
「私はべつにたいして気にもしないで起きて、昨晩眠る前に散らかしたイチゴやらバナナを避けながら洗面所に片足をぴょんぴょん上げながら行かなくてはならなかった。でも踏んじゃって、洗面所で顔じゃなくて片足を突っ込んで洗った。」
Bは嘘をついていない。彼女は片足を上げるイメージとイチゴとバナナが頭の中で妙な結び付きを見せているので、楽しそうに話したからだ。僕もBが片足を洗面所に突っ込んでいる仕草には好感を持てた。そして窓の外には赤いボールが浮いている。
「で、足と顔を洗い終わって、部屋に戻ってきて、また外を見ると、まだ窓の外に赤いボールが浮いてるのよ。こうやって口を開けてしばらく眺めてたの。馬鹿みたいでしょう?」
声には出さないで約二秒ほど微笑み、すぐに神妙な顔をしてどこか遠くを見て昔のことを思いだすような仕草をする。僕は冗談のつもりでそれと同じ方向を眺めてみて、おや、何も見えないよ、という顔をした、がBは気付かない。よっぽどその真っ赤なボールのイメージが強いのだろう。
「不思議なものでね、長く見てるとなんだか優しい気分になってくるの、段々、私のちっちゃい頃にクレヨンで描いた真っ赤な太陽の絵を思いだしちゃってね、なにか懐かしいような感じがしてきたの。」
言葉ではなくBから、せつない雰囲気が伝わってくる。Bはすぐにちょっとだけ悲しそうな顔をした。
「・・・私はぱっと窓の方に急いで駆け寄って、窓を開けて手に取ろうとした、大切なものだと思ったのよ。だけどね、真っ赤なボールはひゅうと下に落ちていった。まるでそこに止まって浮いていたのが嘘みたいに、あっというまに落ちていって小さく小さくなって消えていった、そして地面に打ち付けられて大きくバウンドする。」
僕の頭の中の赤いボールも遠くに消えていった。それはなんだか、はかない夢の景色を連想させた。体の中のかすかな懐かしさが遠く離れていく感じ、喪失感にそれは似ている。大切な人を失ったときみたいに。
「ずっと下の方で子供たちがその赤いボールで遊んでいる、賑やかな声がここまで伝わってくる。私はその景色を静かに眺めててこういうふうに思った。何か、遠くから楽しそうなお祭りを眺めているような感じなのね。ほら、地元の神社の縁日とかで金魚すくいをやったりわたあめを食べたり、ちっちゃなお祭りを遠くから見る感じ。」
「喪失感っていうんだよ、そういうの。大きな空洞みたいなものだよ。」
「そう、こうやって大切な人とかを失ったら本当に悲しいだろうなと思った。」
そうやってじっとまばたきのない瞳で僕の向こう側の窓を見た。Bは絶対にこういったとき人が何かを言ってくれるのをじっと待つわけではない。Bの場合、こういったことがあったと、ただ提示するだけなのだ。だけど、僕は気の利いたことを言ってやろうとちょっと考えてこう聞いてみた。
「この話って、本当?。」
「嘘よ。」