Jonathan Livingston Seagull

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昔から” カモメのジョナサン “のお話が大好きで、最近もヒマな時になんとなく何度となく読み返して、一人のときにふと、そのお話のことを考えてる時がある。本当に不思議なお話で、読み返すたびに違う感想と空虚感が残る本だと思う。誰も死なないし、余計な台詞も出てこない。

意外と知られていないのだけど、この「カモメのジョナサン」は60~70年代のアメリカでヒッピー達の間で有名になり、聖書となっていた本でもある。きっとその頃のフラワーチルドレン達のジーンズのポケットにはリチャード・バックの「カモメのジョナサン」とジャック・ケルアックの「路上」あたりが突っ込んであったんだろうなぁと思う。こういったようにこの時代に流行ったビートニクな文学は、読み方によっては宗教色の濃い本でもあるし、精神的な教えの書かれた本にも感じる時もある。
ジョナサンは、自分の羽を常に「飛ぶために使う」、飛ぶために生活を行い、仲間を追われ、最後には再び群れに戻る。そんだけの話。
昔からこの本を読むたびに、自分も飛ぶことを考える。ちょいとロマンチックに月夜の上空なんぞをイメージしたりもする。雨の日でも上空で輝く太陽のこともイメージできるようになる。モノの見方が変わる。

2000年代のひねくれた自分は、この本を素直に読む。「ジョナサン、カッコいいな」って具合にね。この本から、ただ一つ常に同じ教訓を得るときもあって、「僕らは基本的に自由で、あらゆるモノゴトを選択できる」ってコト。こういった元気の出る教訓は、多分本当のことだと思う。

ジョナサンみたいにいつか空飛びたいなーとか考えちゃうのさ。もちろん飛行機でもいい。紅の豚あたりに出てくるみたいな小さな複葉機がよいかな。気ままに好きな街に下りて、暮らす。自分の顔見知りが5人以上になったら場所を別に移して、毎日違う空を飛んでいたいなぁとかも考える。知り合いができて、その町を案内できるようになったら、本来はその街というのは去り時なのかもね。

例えば、「僕らは基本的に自由で、あらゆるモノゴトを選択できる」、このことだけを信じていけば、最終的に自分は、「空を飛ぶこと」を選択するのではないかな、とカンで思う。自分が夢中になるモノゴトはすべて最終的に「空を飛ぶ」ために、地上を蹴って飛び上がるために、ゆっくりと選択して生きてる気がしてる。
さて皆さんは何を選択しますか?
残りの人生の最初の日、曇りだけど僕はこれから洗濯をします。あぁベタ・・・P.S 村上春樹氏の著書「アフターダーク」の中のメッセージ「音楽を演奏するのは、空を飛ぶことの次に楽しい」という言葉があります。僕の場合、「モノの見方を変えることは、空を飛ぶことの次に楽しい」といったところかな。もしくは、「文房具を選ぶことは、空を飛ぶことの次に楽しい」・・・

タカヤ

ヒッピー/LAMY・モレスキン・トラベラーズノート好き/そしてアナログゲーマー

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